島根県から北におよそ60km、日本海に浮かぶのが隠岐諸島です。本州からフェリーで約3時間、高速船なら約2時間かかる隠岐諸島には、大小180以上もの島があります。

人が住んでいる島は、隠岐の島町、西ノ島町、海士町、知夫村のあわせて4島あります。その中で海士町は3番目に大きい島で、人口は約2,200人。意外に大きく、歩いて島を1周するのは簡単ではありません。島の全周は89km程あり、ぐるっと車で走ると、約2時間で1周することができます。

隠岐は地域全体が国立公園に指定されるほど、自然豊かな地域で、2009年には隠岐の地質遺産が「日本ジオパーク」として、島根県で初めて認定をされました。その中でも海士町は、名水百選にも選ばれた湧水に恵まれ、半農半漁の島として、豊かな資源に恵まれてきた島です。

隠岐が遠流の地と定められた時代より、この海士町でも多くの政治犯や貴族の方を受け入れてきました。中でも鎌倉時代に承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、この海士町で19年間お過ごしになり、多くの和歌をお詠みになられました。

歌聖とも呼ばれる上皇を慕って、加藤楸邨をはじめ多くの俳人がここ海士町を訪れています。また、神楽や民謡などの伝統芸能だけでなく独特の島料理や、地区毎に大切にされているお祭りなど、島ならではの文化も今なお、大切に受け継がれています。

近年は行財政改革や、特産品開発、高校の魅力化プロジェクトなど、海士町独自の取り組みが全国から注目を集め、ここ15年ほどで750人以上の移住者を迎え入れ、そのうち350人以上が現在も在島しています。

海士町のキャッチコピー『ないものはない』が意味するのは、「生きるために必要なものは、すべてここにある」ということです。「ないからこそ良い」という価値観を大事にしながら、「あるもの」を活かす知恵と工夫で暮らしを楽しもうとする精神があります。
教育では、学校と地域住民が手を取り合い、魅力ある「ふるさと・キャリア教育」を進め「交流と挑戦を通して、未来を切り拓く自立した人間力溢れるひとづくり」を行っています。

島根県から北におよそ60km、日本海に浮かぶのが隠岐諸島です。
本州からフェリーで約3時間、高速船なら約2時間かかる隠岐諸島には、大小180以上もの島があります。

人が住んでいる島は、隠岐の島町、西ノ島町、海士町、知夫村のあわせて4島あります。その中で海士町は3番目に大きい島で、人口は約2,200人。
意外に大きく、歩いて島を1周するのは簡単ではありません。島の全周は89km程あり、ぐるっと車で走ると、約2時間で1周することができます。

隠岐は地域全体が国立公園に指定されるほど、自然豊かな地域で、2009年には隠岐の地質遺産が「日本ジオパーク」として、島根県で初めて認定をされました。
その中でも海士町は、名水百選にも選ばれた湧水に恵まれ、半農半漁の島として、豊かな資源に恵まれてきた島です。

隠岐が遠流の地と定められた時代より、この海士町でも多くの政治犯や貴族の方を受け入れてきました。中でも鎌倉時代に承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、この海士町で19年間お過ごしになり、多くの和歌をお詠みになられました。

歌聖とも呼ばれる上皇を慕って、加藤楸邨をはじめ多くの俳人がここ海士町を訪れています。また、神楽や民謡などの伝統芸能だけでなく独特の島料理や、地区毎に大切にされているお祭りなど、島ならではの文化も今なお、大切に受け継がれています。

近年は行財政改革や、特産品開発、高校の魅力化プロジェクトなど、海士町独自の取り組みが全国から注目を集め、ここ15年ほどで750人以上の移住者を迎え入れ、そのうち350人以上が現在も在島しています。

海士町のキャッチコピー『ないものはない』が意味するのは、「生きるために必要なものは、すべてここにある」ということです。「ないからこそ良い」という価値観を大事にしながら、「あるもの」を活かす知恵と工夫で暮らしを楽しもうとする精神があります。
教育では、学校と地域住民が手を取り合い、魅力ある「ふるさと・キャリア教育」を進め「交流と挑戦を通して、未来を切り拓く自立した人間力溢れるひとづくり」を行っています。